さかなのつれづれぐさ

その時の気分でなんでも喋る。

「夏の夜の夢」を観た感想を言いたいがために再開します

お久しぶりです。

先月、舞台「夏の夜の夢」を二度観劇した結果、どうしてもその感想を書き連ねたい思いに駆られました。さて、どこに書くか…2年ほど非公開にしてるブログ持ってたやんけ!!というわけで、これを機に再開しようと思ったわけです。(タイトル回収 完)

現在、過去の記事はいったん非公開にしてあります。

 

以下本題。

観劇に至るまでの経緯

2022年5月某日。突如発表された「髙地優吾、舞台『夏の夜の夢』出演」。狂乱のTwitter。暴れる(物理)私。「相手は生駒ちゃん」と聞き、「かわいい×かわいいはかわいいに決まってる」「わかる」「見たい」と、心の中で複数人の小さい私が満場一致。

いやぁ、その発表こそ”夢”かと思ったよね、暦の上では”夏”だったし。まあ”夜”ではなかったんだけど。

そんなこんなで夢見心地のまま申込、抽選発表…本格的に夏になると、メディア出演ラッシュ…幸せな夏だったな。9月頭まで本業の方でヒイヒイ言ってたけど、「まぁ、推しも頑張ってるし」で乗り切った。すごい。

9月に入ってからは、「夏の夜の夢」について勉強した。と言っても、原作(「原作」という表現は違うかも)どころか解説書も読む時間をとれなかったので、同じく「夏の夜の夢」に向けて勉強している方々のブログとか読ませていただいた感じ。観る側も前知識があるかないかでだいぶ面白さが違うので。

 

さて、私は20日ソワレと28日の大千穐楽を観たわけだけど、20日日生劇場についた最初の感想は「綺麗なお姉さんがたくさんいる」。おそらくかなりの割合で髙地担ないしスト担だと思ったらニヤけた。一緒に観た友達には「やめなさい」と冷静につっこまれたけど。

日生劇場は初めて入ったのだけど、中に入るとその内装にわくわく。何しろ階段がいっぱい!階段フェチ()の私にとっての楽園が広がっていた。あと曲線の多用。誰かシルバニアファミリーくらいの大きさで模型作ってほしい。多分家にあったら一日眺めて過ごせる。

劇場内もそう。今までいろんなホールをそれなりに見てきたけど、壁面が細かいタイルで敷き詰められてるの初めて見たし、緩やかな曲線に囲われた空間が既に非日常感を醸し出してて好きだった(そしたら、雑誌*1で髙地くんも天井に言及してて思わずにっこり)。

 

ちなみに、20日ソワレは2階席の下手側出っ張ったところの一番前で、28日は1階席の上手側ブロックだった。表情とかよく見えるのは当然だけど1階席。声もまっすぐ飛んでくる感じ。だけど、個人的には2階席のほうが好きだったな。劇場の音響が活きてて、音楽やSEとの親和性が高いし、舞台全体が見渡せるのが良かった。多分、審査員置くならGC席のセンターで、プッシュでのハイボックスは2階席センターに設定すると思う(マーチングに例えるのやめな)

閑話休題

 

すさまじく偏った感想

※ネタばれ有のつもりでお読みください。

まず、きょもがインスタライブで言ってた通り、第一声にいい意味で裏切られた。「知らん声がする!」って(いや、普段のお声も生で聞いたことないんですけどね)心の中で叫んだ。そんな喉かっぴらいて体内で何往復も響かせて出すような重音出せるんかいって、それって一朝一夕で得られるものじゃないと思うので、きっと並々ならぬ努力があったんだろうなって。もう泣きそう。20日の私、「張りがあって芯があって、でも掴みどころのない感じ。午前中の森の中、霧がわずかに残ってる空気のよう」ってメモ残してるんよ。これマジで的を得た表現だと自画自賛させてほしい。マジでこれだった。

コロナの後遺症や体力低下を心配してたんですけど、ま~~じで杞憂でしたね。プロだった。千穐楽まで安定していて、いや、もうほんと、心配なんて余計なおせっかいだった。

それと、「髙地くん、前世ライサンダーだったんか?」と思うくらい、なんていうか、にじみ出る髙地くんらしさがライサンダーという役に深みを持たせていたように感じた。たぶんキャスティングが神った。いや、本当にすごいんよ、もはや”ライサンダーを髙地にやらせようと決めた方”のファンになりたいかもしれん…慧眼…

とにかく、役のはまり具合が凄かったって話。威厳があって、愛にあふれて、かっこよくて、なのにちょいちょいかわいくて、かと思えば非常に気持ち悪くて(褒めてます)、ガラ悪くて(褒めてます)、豪華詰め合わせパックだった。

個人的には、魔法が解けて朝になるよって時のダンスシーンが美しくて印象的。技名まではわからないけど、バレエを彷彿とさせるような、ジャンプしている間空中でつま先までピンと伸ばす瞬間があって、その姿が本当に綺麗だった。なんか、そういう一瞬一瞬に積み重ねてきたものが垣間見えて、くるものがあったよね。

 

ベテランの方々は、ベテランであることがどういうことなのかを学ばせていただいたような気持ち。抜群の安定感と、記憶に残るほどの”圧”が両立していた。子役の子たちはひたすらに可愛かったことに加えて、この舞台に本気で挑む一役者であると感じた。彼ら彼女らもまたプロなんだと。後述するけど、私が唯一涙を流したシーンは子役メインの一幕。すごかった。幽霊たちのたたずまい、所作の美しさには息をのむものがあった。ところどころお茶目さが出ててほほえましかった。

 

それから、生駒ちゃん。若者組の中で一番にセリフがあったんだけど、スパーンと抜ける声が凛としていて「ひぇ…」と感動。怒り狂うシーンは、羽交い絞めされながらも爪立てて手足バタバタして、ほぼフシャーーーーーーーって毛を逆立てた猫でしかなかった。

元木さんはさすがの身のこなしで、アクションすべてかっこよかった。芝居も自然で、舞台上の雰囲気に綺麗に溶け込んでいた印象。あと、千穐楽では上手側の席だったわけだけど、女の子間の喧嘩の中で、ヘレナに「私はディミートリアスに惚れて追ってきた(ニュアンス)」って言われた瞬間、必死に腕掴んで止めようとしてたのに、思わず顔上げてとてもうれしそうな顔でヘレナのぞき込んでたのを見れたのが最高だった。超細かいと言われればそこまでなんだけど、本当にいい表情だったの。

春ちゃんは、何より、怒涛の長尺セリフ。しかも何度もあって、本当に圧巻だった。ひたすらブチギレてて、でもコミカルで、愛嬌があって…もう拍手しかできん。すごすぎた。溺れるかと思った。魔法にかかった男たちに言い寄られてドン引きの顔も、馬鹿にしないでと悲壮感たっぷりの顔も迫真だった。千穐楽では、喉を壊していたそうで、かすれ気味だったけど、聞こえづらくなんて全くなっておらず、それどころか、むしろ役に活かしていたようで*2、またも感動。

この若者四人の繰り広げる大乱闘(本人たち曰く”スマッシュブラザーズ*3)は息ぴったりで、「あ〜〜〜またこの四人で仕事してくれ〜〜〜〜」の気持ち。ほんとに素で仲良くなったんだなって。四人で切磋琢磨して、試行錯誤して作り上げるお芝居が楽しいんだなって。うまい表現が見つからないんだけど、それこそ、この四人が揃う時間、空間の儚さが、まさに”夢”のようで、きっと青春の1ページのようにこれからも輝き続けるんだろうなって思った(と言いつつ、終わってからも交流が続いているようで嬉しい)。

 

アドリブの多い舞台で、公演ごとに言い回しや仕草を変えていて、本人たちもそれを楽しんでいることが伝わってきた(レポ見るの楽しかった)。カンパニー全体がすごくいい雰囲気。そしてそんなカンパニーが一丸となって作るからこその劇場に広がる温かい空気。とても、とても幸せな時間、空間だった。

カーテンコールでは、拍手喝采の嵐。20日は、3回目でスタンディングオベーション。ティターニアのベールパタパタしながらルンルンで入ってきた髙地くんは、ライサンダーではなく完全に現役アイドルの顔してて、全力ブンブンお手振りからの南果穂さんと「せーの」ってしてスキップではけてって…なにあれ、何を見た?しばらく呆然としたよね(実際はすぐに退場するブロックだったので気持ちだけ置いてきた)。

28日は、最後だからか、アドリブ大量放出回だった。目がキラキラしてて、声を張ってて…カーテンコールも4回あった。2回目からもうスタンディングオベーションしてたし、3回目ルンルンはまさかのみんな横並びに手つないで来たし、4回目は髙地くん子役の子抱っこしてくるし…は?幻覚?それから、座長挨拶もあった。もうあのカンパニーが揃うことも、あのセットも衣装も見れないのかと思うと、寂しくて仕方がなかった。

 

喜劇って、途中にどんな困難が登場人物たちに降りかかろうとも、すべてが不思議なくらい綺麗にハッピーエンドに収まるし、その経過も外から見ている分には面白くてしょうがない、そういうものでしょう。その意味で、「夏の夜の夢」は生粋の喜劇。面白くて、随所で本気で笑わされた。

ただ、今回の「夏の夜の夢」はそれだけで終わらなかった。20日の時点では、「あれはどういうことだったんだろう」止まりだったんだけど、その後パンフレットや人様の考察*4を読んで、そして28日観たときに確信した。この舞台、すごいことをしてるって。と同時に、ぼろ泣きした。無理。ちなみに、一番涙が止まらなかったのは一幕目の方で、まだ手元にハンカチ出してなかったからマスクがびしょびしょになった。隣のお姉さんも休憩入った瞬間ハンカチ出してたから同じ状況だったんだと思う。心の中で握手した。

そう、何がすごいって、舞台を日本に持ってきたってこと、そして、どこまでを事前情報として提示するかの塩梅が絶妙だったことにあると思う。

そもそも、劇中劇があったり、妖精パックが明らかに客席の我々に向かって話す場面があるというように、”夢”の構造をまさに再現しているのが「夏の夜の夢」。メタ視点を随所で導入してるんだよね。で、今回さらにもう一層の次元を加えることでさらに重層的にしてきた。すなわち、この喜劇が一人の少年の死に際に見た夢である可能性を示唆する描写が用いられた。そしてその次元は(おそらく現代ではないが、飛行機だかヘリコプターだかはある時代の)日本、東北が舞台。

さらにすごいのは、こうした解釈を観客に預けているということ。正解を上から与えず、”見たまんま”を疑うよう唆し、想像することを求めることで、観客を巻き込む。劇中の世界と現在の我々の線引きを限りなくゼロに近づけて、グラデーションを成した。そのための装置として、提示される情報の選定すらも演出に含まれていたんじゃないかなと思えてしまい…だとしたら本当に本当にすごくないか…

 

まだまだ引きずるんだと思う。覚めるからこその夢なんだけどね*5。これ以上はまとまる気がしないので終わりにするが、ひとつ言わせて。円盤化待ってます。

 

本業の血が騒いだポイント

ここからは”推しに狂うオタクの皮”を脱いだ<私>が、自分の備忘録のつもりで気になったところを挙げるだけ。

※無理だと思ったら回れ右。

 

観劇中、立ち現れる強い価値規範に「うわあ」と思うことが多々あった。そうした違和感は、今<私>が持つ規範価値との齟齬であって、当然同じように感じた人も感じていない人もいるだろう。そしてそれは分解すると、要素間でも差異があるはず。ということで、私にとっての「うわあ」な要素を列挙する(箇条書きするにしては言葉のチョイスが適切でないような気がするので、どなたか代替案ください)。

・家父長制(家長の言うことが絶対視される)

ジェンダー:男に意思決定権がある(結局オーベロンの思い通りになる)vs.女は男に着いていくもの、守られるもの(ハーミアをはじめとして、女側もそう自己定義しそうふるまう)

ルッキズム(特に女の価値として、美しいことが重視される)+処女性の重視
セクシュアリティ(男女間で恋愛は成立するもの、ゆくゆく結婚し子供を産むもの)
・エイブリズム(健康で不自由なくスティグマがないことをよしとする)

 

ただ、これらもまた、例の”少年”の持つ価値規範の反映だと私は思った。きっと幼い彼の生きた社会での当たり前はこうだったんだろうと。まあ、そうでなくても、シェイクスピアの生きた時代は16世紀末から17世紀初頭だし、「夏の夜の夢」の舞台はギリシア神話時代のアテネ。時代を考慮すれば何も変ではない。

というか、やはり違和感を覚えるのは<私>が現代人だからこそ。ならば、学術的に次考えるべきは、こうした価値規範をともすれば再生産しかねない演目が愛され続けるということの社会的な意味ないし機能であろう。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。今後も徒然なるままに(さすがにもう何年も放置ということにはならないようにしつつ…)、色々と書き連ねていきたいと思います。

*1:えんぶ 2022.10月号

*2:堺小春公式 投稿 2022.9.29

*3:舞台「夏の夜の夢」公式パンフレット 稽古場座談会

*4:特にこちら

*5:ここまで書いといてあれだが、あくまで私の理解であることは強調させてほしい。絶対に鵜吞みにはしないでほしい。