さかなのつれづれぐさ

その時の気分でなんでも喋る。

「あ、共感とかじゃなくて。」備忘録

お久しぶりです。(もはや久しぶりなのがデフォルトになってる気がする。)

言い訳すると、本業の締め切りに追われる半年を過ごしておりました。ひとつ終わると次、次、次…闇深ぁ…疲れたよ、パトラッシュ……

 

 

閑話休題

 

 

先日一人でふらっと行ってきた展覧会でいろんなことを感じたのに、時間が経つと忘れてきていることに気づいたので、本格的に記憶の引き出しにしまい込んでしまう前に書き残しておこうかと。

 

行ってきたのはこちら

「あ、共感とかじゃなくて。」

How I feel is not your problem, period.

2023年7月15日(土)- 11月5日(日)

東京都現代美術館 MOT

www.mot-art-museum.jp

 

参加アーティストは、

有川滋男(ありかわしげお)さん、

山本麻紀子(やまもとまきこ)さん、

渡辺篤(わたなべあつし)さん/アイムヒア プロジェクト、

武田力(たけだりき)さん、

中島伽耶子(なかしまかやこ)さん。

 

この秋「共感」について考える機会をいただいたのもあって、展覧会についてたまたま知ったとき「これは…行かなきゃいけないのでは!?」と義務感が生じた。その場ですぐにチケットをポチったのはいいものの、いざ当日になると新たな締め切りのせいで若干焦燥感を抱えつつ行く羽目に。

 

結論、行って良かった。締め切り前でヤバかろうが何だろうがあれは行ってなかったら後悔してた。

んで、普段は買わないパンフレットも買ってしまった。まあ、それを片手に今ブログを書いているわけなので、ちゃんと買った意義はあった。良かった。

 

さて、本題。

まず惹かれたのは展覧会のコンセプト―”見知らぬ誰かのことを想像する展覧会”。

それを特に感じたのは、渡辺さんの一連のプロジェクト。そこには、社会的に不可視化されている、そして同時に偏見が持たれている人たちの、決して一括りには語れない個々人の生き様が作品として可視化されていた。

 

しかも、タイトルの通り、”必ずしも共感しなくてもいい”ってことを前面に打ち出している。なにそれ、既に良い。研究者がうんうん唸りながら「共感」について議論した結果がもうここでは大衆に訴えうる観念として成立している!と乾いた笑いが思わず出てしまった。

 

私が行った日は世間一般の休日だったこともあり、また、「デイヴィッド・ホックニー展」も開催中だったため、ものすごい混んでた。普段混んでない時間を狙って行く私は正直エントランスの時点で萎えてたのだが、展覧会の性質上、むしろ良かったのかもしれないと今は思う。

というのも、周りの人の「どういうこと?」「わかんない」という素朴なわからなさも、「こうだと思う」という解釈も、「これすごいいいな」「え、そう?こっちの方がなんか好き」といった違いを違いとして受け止め合う会話も、”必ずしも共感しなくてもいい”の体現だと思えたから。そういう声は作品に感化されて生じているとしたら、その磁場特有のものであって、だとしたらそれらもまた展覧会の一つのエッセンスだったのだと思う。

特に、有川さんの映像作品の展示ブースで隣にいた父親と思わしき方とその娘さんらしき子(小学校低学年くらい?)の会話が印象に残っている。

子「わからない」

父(仮 以下略)「○○が出てきたけどあれなんだったんだろうな。なんだと思った?」

子「~~じゃない?」

父「なるほどね。~~に見えたのか。」

子「ちがうの?」

父「ううん、**(子の名前)は~~だと思ったんでしょ、ならそれでいいんだよ」

子「でもあとはわからなかった」

父「そのわからないってことも**の感じたことだから大事にしていいんだよ。でも考えるのはやめちゃだめだよ」

……いや、文字に起こしてみて改めて思ったけど、お父さん(仮)教育者としてめちゃくちゃ善いな!?!?自身の感情や経験を言語化させ、わからなさも含めたそれらを肯定し、その上で考え続けるよう促す。家庭教育って机上の学習を見るって意味だけじゃなくて、こういう日頃のコミュニケーションの中でなされていくことこそ重要なんだろうなって(教育社会学の理論やら先行研究を一旦脇においたとしても)感じざるを得なかった。

……ちょっと話ずれちゃったな。とにかく、そういう話声が溢れていて、みんながわかりやすい何かに「わかる」と言うのではなく、ひたすらに思考し続けていて良かった。

 

今回展覧会に行って、改めて思ったのは、「共感」自体を否定はしないが、その限界を認識しなくてはならない、ということ。なんでもかんでも”共感が大事!”で済ませてはならない。なぜなら、他者の、そして自分の感情や経験に本当の意味で向き合えていない事実を共感規範は覆い隠してしまうから。そして、残念ながら、大抵「共感」は、現状のマジョリティ‐マイノリティ間の権力勾配を維持するベクトルに作用する(し、そのこともまた不可視化されてしまう)から。

 

それはパンフレットを読んで再確認したことでもある。

中島さんの作品「We are talking through the yellow wall」という大きく空間を断絶する壁には一方にはスイッチが設置されていた。私は何ともなくそれを押してみたが、押しても何が起こるわけでもなかった。次に、壁の反対側に行くとそちらは暗くて狭い空間になっていて、時折ライトがついたり消えたりする。連続でぱちぱちと切り替わると目がおかしくなりそうで、たまらず外に出た。あのスイッチってこのライトのだったのか…

その時は、そこで思考が止まっていたけど、あれはマジョリティ‐マイノリティ間の非対称性を表現していたんだとパンフレットで知って納得した。あの暴力性に、好奇心からなんとなくスイッチを押す側は気づかないんだよ。

 

もしまた再び開催されることになったら、今度は周りの人にも一度足を運ぶよう勧めたい。なんなら一緒に行きたい。きっと一緒に行く人によっても考えること話すことが変わって作品の見方も変わるのだと思うから。

いつかの日を楽しみに待ちたい。

水の中が好き

 

水の中が好き。

全身頭まで完全に水中に浸かって、どこにも触れない状態で、目を瞑って漂うことが好き。

30度くらいの水温で、2mくらいの深さだとなお良い。

 

なんでかなって思ったとき、水の中から見る景色も好きだけど、それよりも「感覚探求」の側面が強いのかもしれないと思い至った。

私はこの歳になってもボディイメージができてなくてあちこち痣だらけ。どこまでが自分の身体かいまいちわからない。固有(受容)覚が鈍麻(この話は感覚統合ってテーマで改めて詳しく書きたいと思ってるからここでは深堀しないけど、ざっくり言うと身体の位置とか動き、力具合を把握する感覚が鈍いってこと)

だから、固有受容覚の刺激行動にあたる「水中にいる」ってことがちょうどよくて気持ちよくて落ち着くのかなって。目瞑れば特に敏感な視覚への刺激も抑えられるからそういう点でも楽なんだよね、たぶん。

 

最近、運動不足解消のためにジムに泳ぎに行くようにしてるんだけど、本当は泳ぐよりも沈んでたいんだよな…まあ、そんなことしたら邪魔だし、最悪救助されそうだけど笑

大人も好きにぷかぷかできる場を切に求めます(もしくは大富豪になって家に自分用の水深深めのプール作りたい)

 

めっちゃ短いけどおわり。わかる〜って人いたらいいな。

祝 1クールドラマ完走

お久しぶりです(いつもどおり)

『だが、情熱はある』が先日最終回を迎えましたね。

 

すごかった。え、何かとんでもないものを見てしまったんじゃないか???????気づいたら「第四の壁」破られてた(と解釈した)んだが?????????????????

 

まだまだ宇宙を漂って還ってこれないし(つまり処理しきれずにいるのでロス以前の問題)、興奮只中の脳直感想はTwitterで散々ぶちまけてるので、ここでは“ドラマに苦手意識のある私がドラマをちゃんと1クール観た”ってこと自体を取り上げたい。

 

そもそも、なぜドラマにこんなにも苦手意識、というかぶっちゃけ嫌悪感を抱いているのか。一方で、だが情が観れた要因は何か。

 

まず前者についてだが、大きく分けて2つあると思ってる。

 

①単純に1時間毎回拘束されるのがしんどい

ドラマに限らず一つのことだけをするのが苦手。ラジオは聞きながら他のことができるけど、映像作品は視点も固定しなきゃいけない。しかも1時間。こちとら10分の動画も途中で他のこと挟まんと観れないんだぞ()しかもそれが何週間も続く…考えただけでストレス。よって連ドラというコンテンツがとてもハードルが高いものとして私の中では位置づいている。

 

②既存の価値観のごり押しがきつい

もちろんドラマと一言で言ってもいろんなジャンルがあるのはわかってる。だが、そもそも①ゆえにこの30年弱ほぼほぼ「ドラマ=ママが夜見てるやつ=大半は恋愛もの」という観念のもと生きてきたので、恋愛ドラマへの忌避感がそのままドラマ全般への苦手意識にも繋がってることは自覚してる。

で、恋愛ドラマへの忌避感はずばり根深い近代家族規範や異性間恋愛規範、ロマンティク・ラブ・イデオロギーetc.のへの嫌悪感と同義だ。別に恋愛ドラマにも後期近代的な(後期近代的な?)作品も多くあるのは知ってるが、やっぱり変わらない"王道"が今なおある。一つの作品がそういう"王道“の価値観を体現していて嫌ってだけじゃなくて、そういうのが売れる価値体系が根深くあるということが嫌。つまり今の社会が嫌(バカデカ主語)

あと、これはよくわからんポイントではあるんだけど、同じ恋愛ものでも小説・漫画・アニメなら比較的いけるのなんだろうな…

 

ここまでドラマへの苦手意識を考えてきた。次に、だが情はなぜ観始められたのか、そして最後まで観れたのか整理したい。

 

まず、上記②については、所謂恋愛ドラマではないので該当せず。そういう要素がなかったわけじゃないけど彩りを添える程度で、いや、実際そんなもんでしょ、人生恋愛以外にやることなんて山ほどあるんだからさっていう持論と合致したので観続けられた。

 

じゃあ①は?ってことだけど、残念ながら変わらずしんどさはあった。が、観れたのには以下二点の力が大きかった。

 

1)基本的にはノンフィクションってこと

…まず言っておくが、SixTONESを推していることはドラマ視聴の動機にはならない。現にこれまでメンバーが主演をしてきた数々のドラマは何も観れてない。そうではなくて、だが情は基本ノンフィクションだから観たい、観ておかねばと思った。そして、自分の価値観的に合わないシーンがあったとしても、でもこれは実際にあったこと(少なくとも本人たちの回想録にもとづいており、本人たちにとっての事実)だと飲み込めたからリタイアしなかった。

 

2)TVer様様のおかげ

あとこれは外在的な要因だけど、配信があったのは大きかった。テレビの前にいなくても観れるし、好きなタイミングで一時停止できるってことにはかなりのストレス軽減効果があった。ちなみに私は毎週1話ごとに平均3日ほどかけてた(遅い)

 

そんなわけで、私史上あったかないかわからないレベルの事象「1クールドラマ完走」が成立したのであった。

 

さて、そんなこんなで最初から最後まで観た『だが、情熱はある』だが、何がすごいって、すべてである。演技、衣装、演出、セット、小道具、構成…何もかものレベルが高いし、何より熱量がえぐい。このドラマ、ものすごい人たちが関わって成り立っているんだろうなって圧倒された。

また、ラジオ、テレビ番組、書籍、雑誌…いろんなコンテンツが重層的に、それこそ冒頭に述べたように現実と物語世界すらもリンクしていて、既視感をたどるわくわくがあった。加えて、演者のファン、モデルのファン問わず一つの作品を通して互いを認知し時に交流する一種の仮想コミュニティが形成されていて、そこに参加することの面白さも感じた。

 

最後に、私は10代のころからANNライトリスナーで、最近はすっかり「SixTONESオールナイトニッポンスペシャル」と「オードリーのオールナイトニッポン」の虜なわけだが、若林さんが笑いながら言っていた「オードリーはずっと日大二校をやってる」という言葉が刺さって抜けない。

あ~~~~~~~~!!!!!!?私は、そういう”自分たちが楽しい”を第一にしていて、”求められる姿”を提示するよりもまず”自分たち”を保持している人たちが好きなんだなって。そうして”自分たち”を貫いた結果、時間はかかっても、どれだけ悔しい時を過ごしても、”自分たち”を世界に認めさせたところを尊敬するし、憧憬を抱く。

だが情を完走して、今どれだけ理不尽さを覚えても、しんどくても、いつかは”なにもの”かにはなれるかもしれない、まだまだ”こっから”なんだと藻掻くエネルギーをもらった。

本業においてもだもだめそめそしている20代後半の今、出会えてよかった。

母の食育

お久しぶりです。

なかなかに忙しくて、昼夜逆転暴飲暴食常時不調生活を過ごしていました。今は少し余裕が生まれて、改めて睡眠時間を確保するだったり、1日2-3回ちゃんと座って食事の時間をとるみたいなことを意識して生活をなだらかに戻しています。忙しくなるのに比例して文化的な生活が崩れていくのまじでやめたい…

 

思えば、きっちり生活する両親のもとで暮らしていた頃はそこまで崩れることはなかった。絶対そこに至る前に「寝ろ!」「起きろ!」「食べろ!」って怒られてただろうしね。

周りの子の家に比べたら厳しかったように思う我が家のしつけ(?)に、思うところは色々あるけど、少なくともそうした「生活の仕方」をめぐる教えは”素敵”だったなと今になって思う。

自戒の意味も込めて、今回は特に「食育」に絞って思い出して書きたい。

 

 

1.「世界には食べれない子がたくさんいるんだから感謝して食べなさい」

我が家の食卓において、好き嫌いは許されなかった。ましてや残すのはもってのほか。小さい頃はたくさん嫌いなものがあったけど、時に嗚咽を漏らしながら食べてた。(←味覚特性によるものじゃなくてほんと良かったよね!どんなに食べ続けたって克服できない場合だってあるから…!)

…まあ、そんなわけで、私は嫌いなものも食べること自体はそういうもんだと諦めていたけど、たぶん、せめてもの抵抗で”不機嫌になる”というパフォーマンスを戦略手段として取ってたんだよね。今思えばすごく幼稚だけど、すご~~く嫌な顔をして食べてたの。

そんな私に対して、よく母は、

「食べれない子が世界にはたくさんいるんだよ、食べれるだけありがたいよね。そんな顔して食べるなんて罰当たるよ。」と言っていた。

さらには、

「知ってる?食べることの大変さを学ぶツアーってあるんだよ。これ以上駄々こねるなら今からそのツアー申し込むから。あんた一人で行ってきなさい。」とも。

今なら、そんな経験できるならしとけばよかったって思うわけだけど(本当にそういうツアーがあるのかは知りませんが。)、当時は見知らぬ外国の地に一人放り込まれるかもしれないという恐怖でギャン泣きした記憶。なかなかの脅し文句だったな…

 

お陰様なのか何なのか、今では好き嫌いがすっかりなくなって、なんなら食べること=趣味みたいになっているけど、母の言葉はいまだに私の中で生きている。一口一口に感謝する気持ちを強く持っていて、それの起源は我が家の食育だったなと思い至ったわけです。

加えて、見知らぬ他者へ想像力を働かせること、俯瞰的に自分の立ち位置をとらえること…前者はミルズの「社会学的想像力」の、後者は「当事者性」の契機とも考えられるわけだけど、そういったものを規範的に身に付けさせられたという意味でも、母には感謝してる。そこまで考えてではなかったのかもしれないけど結果的に、ね。

 

2.「身体は食べたものでできているから、何を食べるかはちゃんと選ぶべきだ」

母の作る料理はとにかくたくさんの、しかも一つ一つこだわりの食材が使われている。どこで誰がどう作ったのか、何が添加されているか等々を気にする感覚はお陰様で身に付いた。説明しづらいけど、”これは食べ物じゃない!”とか、”これを身体に入れたくない!キモチワルイ!”みたいな感覚。

まあ、いいものにこだわろうとするとどうしても高くなるので、現状妥協せざるを得ない時も多いんだけどね…

それから、ちゃんと栄養素を考えて献立を組み立てることも与えられた”いい習慣”と言えると思う。(まあ、そもそも日本の義務教育はその辺比較的ちゃんと教えているなってアメリカ行った時に思ったけど。)これに関しても、意識的に気を付けるようにしてるというよりは、生理的に「何を食べたい/食べたくないか」な気がしている。つまり、知識として自分で得たあるいは教えられてきたものというより、母の感覚を共有して自分のものとしてきたものが、私の今の食に関する選択の判断基準になっている気がするって話。

 

今回は、我が家の「食」をめぐる教えを改めて思い起こしてみた。今の私は特に2つ目の方を実践できているかと言われると怪しい、というか冒頭で書いた通り、忙しい時はとことんできてない。だけど、なんていうか、生き方として、あこがれるし、すてきだなって思うわけで、それを共有したくてこんな風につらつら書いたわけです。

 

あとこれは余談なんだけど、母の中でのブームがあって、それは例えばスムージーだったり、ソイミートだったりなんだけど(流行ってなんか全くない頃だから今考えるとすごい。)、それには散々振り回された。大抵はちゃんとおいしいんだけど、時々信じられないくらいまずい劇物が出来上がったりするので…

"はじめて"が相変わらず苦手な話

過去記事をつっこみつつアップしてみようシリーズ第二段。

どれにしようかなと思っていたのですが、割と新学期にふさわしいものを発見したので即決(笑)ちょうど昨日も初めましての方がいて、私個人的にもタイムリーかなと。

 

"はじめて"フォビア

はじめましてが怖い。

いや、正確に言えば見通しの立たない不確実な相互行為が怖い。

 

大学に入ってすぐの、学部の親睦会みたいなのは、トイレにいる時間が一番長かった。戻っても、すみっこに空気のように、まるで「1人でも大丈夫です」とでも言うような顔して時が経つのを待つしかできなかった。

 

誰か知り合いがいれば完全に依存する。小学校から中学校に上がる時がまさにそれだった。友達が初めましてしたタイミングで、「あ、私は…」て。

で、帰ってから必死にそれぞれの顔思い出しながら名前と一致させて、明日はこの子とこの子には自分から何かしら話しかけてみるぞって心の準備をして寝る。

 

小学生の時、習い事(自分の小学校の体育館で行われていた)を休んだ振替先がいつもと違う場所(隣の小学校の体育館)でいつもと違うメンバーなことを、母の送りの車が去ってから知って、入れずに結局迎えの車が来るまでひたすら近くを歩き回ったこともあった。

 

そんな私が、いざ留学に行くなんてなったらどうなるか、そりゃ鬱になるさ。びっくりするほど全然食べれないのな。

ただでさえ海外に出たことなくて、英語も自信なくて、例えば交通機関とかみたいな細かいことも全然わからない環境に行くことが怖いのに、さらに、知ってる人も皆無。

…それも、悲しきかな、実は同じ大学から向こうの大学へ自分の他に2人いたのに、肝心のその2人と事前に知り合えなかったのは、私がインフルにかかってオリエンテーション欠席したからという。

いや、留学は行きたくて行くことにしたのよ。でも、直前は「行きたくない」を連呼しすぎて、おばあちゃんが私は無理やり母に行かされると勘違いする事態にもなった。

 

でもね、慣れてしまえば大丈夫なの、どんな人も場所も。

「第一印象と全然違う」はしょっちゅう言われるし、本当だと自覚してる。

 

あ、逆に初対面の人に「今めちゃくちゃ緊張してます」とか言うと「そんな感じしない」なんて言われる。

人は学習する。ニガテを経験して、意識してでも無意識のうちでも、それを克服するか、回避する術を身につけるかする。

私はこの「初めて」恐怖症を平気なフリを得意とすることで何とかしてきたらしい。全くもって損な方途を学習したもんだ。

 

とはいえ、初めて会う人全てにいちいちストレスを感じてるわけじゃない。話す必要のない人、さらには、決まり切った会話で済む人は平気。つまり、どんな反応が返ってくるか、どんな話に展開するか、そういうのがわからない状況が怖いんだ。

はじめましての人というか環境というか文化というか、とにかく未知なるものに恐怖を感じる。

 

いまだに初めましての人や場所が苦手なのは変わらない。

実際、昨日も変な汗かいてたし、初めましての人たちとは目が合わせられないし、自分からは全然話しかけにいけなかった。(結構ぐいぐい来る人たちだったのでありがたいんだけど泣きそうだった笑)

でも、今回よかったのは、事前に「とても人見知りで初めての人が苦手なので、慣れるまでしばらく感じ悪いかもしれません。ごめんなさい」と伝えてみたこと。結局、私自身のしんどさと関係性構築初期の阻害が問題なわけで、その軽減のためにはこういう一言が大事なんだなと改めて学んだ。

まあそれも、その一言で異質な他者に対する想像力を働かせて(たとえ理解はできなくても)受け入れる姿勢をすぐに採れる人たちだったからこそ有効だったんだけど。

 

…この記事も、自分の理解の及ばない好き・嫌い、得意・苦手を受け入れるだけの柔軟性を鍛える一助になったら嬉しい。

過去の記事を再アップしつつ、つっこんでみる

結局再開すると宣言してから約半年経っちゃったよ。。

自分のアウトプットへの苦手意識がブログを書くことのハードルも引き上げているんでしょう。書き始めてしまえば何とでもなるのにね。

 

そこで、0から1を生み出すのよりかはいくぶんか楽だろうという安直な発想から、過去に取り下げたり下書きに埋没させていた記事を活用することにしました。今回で終わるはずがないのでシリーズ化したいと思います~

 

では、さっそく!

 

なんとなく嫌いなことに手を出す日

嫌いなことはできるだけ避けていたい。でも、今日はなんとなく一歩踏み出そうと思い立ったわけです。思い立ったら吉日って言うでしょ。

 

今日挑んだ苦手意識のあることとは、主に二つあるのですが、その内一つはまさにこのブログを立ち上げること。

色んなことを深く深く思考しても、言語表出が苦手なので、大っぴらに発言することには腰が重かったのです。でも、それじゃもったいないって最近思い知らされることが多くて。ええいままよっ!とアカウント作っちゃったわけですよっと。

でも、あくまで予定は未定。だってこれ、徒然草だもん。

文字がはしゃいでるな~若いな~笑 ただ、つれづれなるままに○年放置したのは反省。やっぱり苦手克服できてないじゃんっていうね。でも、本職的に必要不可欠な資質なので、練習かねて今度こそ続けられるといいな。

 

 

さかなであること

IDとブログ名は電車の中でポポっと決めた。

IDは「不時着した魚」、ブログ名は「魚の徒然草」。

 

なぜ”魚”?

答えは簡単。昔から魚や両生類のウーパールーパーに似てるとか言われてきて、自分でもいつの間にかしっくりきていたから。『崖の上のポニョ』が流行ったときには、それにちなんだあだ名がつけられるし、人面魚とか呼ばれてたこともある笑友人曰く、別に見た目からではないらしい。たぶん、ちょっとグループから外れてみたり、冷めてる部分あったりが「魚っぽさ」だったのかなと思うけど、今となってはわからない。何にせよ、ふと与えられた自己イメージをいつの間にか私は内面化して、自身のアイデンティティに還元してしまったのだから不思議。

 

それから、”不時着”って何事?て話。

私は自分が地球外生命体のつもりでいる。もちろんこれは比喩であって、生物学的にヒトではあるんだけど。生きづらさとか、不満だらけでも、私は「ちょっと降り立つ場所間違えちゃったんかな」って考えると、なんだか一気に世界を見ることが楽しくなる。これだけ聞くと、俯瞰的でむかつくって人もいるかもしれない。でも、これは私だけじゃないと思っている。つまり、みんな違う”星”からやってきたと考えているということ。みんな自分の中に理論があって、たまたまこの星で出会って…同じ「ふつう」を持ってみたり、同じ言葉を使ったりしてるだけって。だから、元の星がめちゃくちゃ遠い人は全然違う「ふつう」があって、齟齬が生じるのは当たり前ってわけ。

 

文章が拙い!びっくり!ただ根幹にある考えは当時から変わってない。やっぱり私は”魚”でありたいと思うし、不時着の事実を忘れて、生じているはずのポリティクスに鈍麻になりたくないと思う。

 

 

大人になりたくなかった

子どものように感受性豊かで無邪気でい続けようと心に決めていたのに、いつの間にかその誓いさえ忘れていた。あんなにもなりたくないと思った大人になってしまったと絶望した。

 

空気が澄んでいれば嬉しくなるし、雲が流れていく様を見るのは楽しい。風が吹けばその向きに走ってみたくなる。雷が鳴ればそわそわする。星も月も毎日違うから毎日見たくて上を向く。

道端に季節の花が咲いてたら愛でたくなる。動物がいたら話しかけてみたくなる。

生きているものはみんな愛おしい。猫も犬も魚も蛇も虫もすべからく。

同じ鶯でも、ベテランとへたくそなホーホケキョ。 桜の木に登れば奇抜な色の毛虫がいて、ツツジも花の色も葉っぱの色もそれぞれ微妙に違う。小さなことに気づくとそれだけで幸せな気持ちになる気がする。

そういえば昔ゴキブリ見て、きれいだなあってしみじみ思ったこともあったな。あんまり共感してもらえないんだけど。

 

それに、いつも憤っていた。例えば理不尽さに、不公平な世界に。

つまらない顔して、口を開けば愚痴やら妬みやら吐き出す、そんな人間にはなりたくなかった。せかせか早足で、他人にぶつかっても気にも留めない人間や、信号が待てないような人間にはなりたくなかった。

賢くなって、自分が確立して、頑固になって、あきらめ早くなって、視界が狭くなって、挙句スマートに生きることがかっこいいんだと平然と言えるようになる…大人になるということがもしそういうことだとしたら、私は大人になんかなるもんかって思ってた。

自分の気持ちに素直で、色んなことに興味をもって、大小さまざまな夢を追って、がむしゃらにもがいていたいって思ってた。

 

そう思っていたはずなのに、ふと気づいた。

ずいぶん長いこと、落ち葉を踏む音も鳥のさえずりも聞いてないことに。都会であっても一等星くらいは見えるであろう夜空にも、季節ごとの花にも目が行っていなかったということに。

ニュースを見ても憤らなくなったのはいつからだろう。

気づいてしまったら絶望した。なりたくなかった大人になったんだってわかった。虚ろな目をした現代人の一人。

 

でも、私の中の子ども心はまだ完全には消えてないらしい。その証拠に、こんな絶望を抱いてる、大人でいいじゃんかとは思えない。

無理だと言われてもやり遂げたいことだってある。やりたいことなんて山のようにある。考えたらわくわくしてきた。

 

夕飯の香りがする。鈴虫の声がする。今日は富士山も夕日も見えないけど、月は出ていて空気が澄んでる。うれしい。

あー、久々にちゃんとニュース見てたらイライラしてきた。怒りはエネルギー。いつかのTEDでそう熱く語るスピーチに共感して、その時からこの気持ち大事にしようと思ったんだよな、誰のだっけ…

きっとこれからも子ども心を忘れる時はある、だってもう残念ながらオトナだからね。でもその度に思い出して、いつまでも”子どもオトナ”でいられたらいいなと思う。

 

これは文章としてまあまあなのでは笑

そして、ここで書いた思いもまた、今の私にも変わらずあるものです。本文締めで言っているように、たぶんずっと”子ども”ではいられないんですよね、残念ながら年齢はこの当時からさらに重ねているわけで、役割期待も変わってきているので。だけど、感受性豊かに、すなわち身の回りの些細な事を感じ逃さないように過ごすことや、憤りを大事にすることは、まあ合格点あげれるくらいにはしている気がします。

 

実は、去年引っ越したんですが、以前住んでいたところよりも周りに緑が多いからか虫も鳥も多くて耳を澄ますことが増えました。実家にいたころほどではありませんが。(あれは山なので笑)

相変わらず虫も平気です。潔癖気味なので、そういう意味で嫌で外に出すなり、ごめんなさいするのですが、見た目や動き自体はかわいく思ったり。

それと、憤るということについては、ちょうど去年の春先あたりに、自分のなかの心の余裕みたいのが生じて自分の立ち位置を見つめ直すことで、「私が今ここにいるのは憤りを言語化したいからだ」って思い出したんですよね。ちょっとこのころの話はまた改めてしたいな。

 

あと、ここでは「子ども」「大人」という区分を前提に話を進めていて、かつ「オトナ」という表記をあえて使っている。年齢とカテゴリーの含意するキャラクターが必ずしも合致するわけではないと前提を置いたことと、「子ども」を「未熟な大人」とみなし、「大人」に対して直線上に、しかも不可逆的に位置付けるとらえ方を採らなかったことは、評価できるんじゃないでしょうか笑 (最近、子ども社会学の文献をいくつか読んだので思考が引きずられている自覚はある。)

 

 

やってみて思ったんですけど、これ楽しいかもしれない…!

ぶつ切り感すごいけど、いったん今回はここまで!

「夏の夜の夢」を観た感想を言いたいがために再開します

お久しぶりです。

先月、舞台「夏の夜の夢」を二度観劇した結果、どうしてもその感想を書き連ねたい思いに駆られました。さて、どこに書くか…2年ほど非公開にしてるブログ持ってたやんけ!!というわけで、これを機に再開しようと思ったわけです。(タイトル回収 完)

現在、過去の記事はいったん非公開にしてあります。

 

以下本題。

観劇に至るまでの経緯

2022年5月某日。突如発表された「髙地優吾、舞台『夏の夜の夢』出演」。狂乱のTwitter。暴れる(物理)私。「相手は生駒ちゃん」と聞き、「かわいい×かわいいはかわいいに決まってる」「わかる」「見たい」と、心の中で複数人の小さい私が満場一致。

いやぁ、その発表こそ”夢”かと思ったよね、暦の上では”夏”だったし。まあ”夜”ではなかったんだけど。

そんなこんなで夢見心地のまま申込、抽選発表…本格的に夏になると、メディア出演ラッシュ…幸せな夏だったな。9月頭まで本業の方でヒイヒイ言ってたけど、「まぁ、推しも頑張ってるし」で乗り切った。すごい。

9月に入ってからは、「夏の夜の夢」について勉強した。と言っても、原作(「原作」という表現は違うかも)どころか解説書も読む時間をとれなかったので、同じく「夏の夜の夢」に向けて勉強している方々のブログとか読ませていただいた感じ。観る側も前知識があるかないかでだいぶ面白さが違うので。

 

さて、私は20日ソワレと28日の大千穐楽を観たわけだけど、20日日生劇場についた最初の感想は「綺麗なお姉さんがたくさんいる」。おそらくかなりの割合で髙地担ないしスト担だと思ったらニヤけた。一緒に観た友達には「やめなさい」と冷静につっこまれたけど。

日生劇場は初めて入ったのだけど、中に入るとその内装にわくわく。何しろ階段がいっぱい!階段フェチ()の私にとっての楽園が広がっていた。あと曲線の多用。誰かシルバニアファミリーくらいの大きさで模型作ってほしい。多分家にあったら一日眺めて過ごせる。

劇場内もそう。今までいろんなホールをそれなりに見てきたけど、壁面が細かいタイルで敷き詰められてるの初めて見たし、緩やかな曲線に囲われた空間が既に非日常感を醸し出してて好きだった(そしたら、雑誌*1で髙地くんも天井に言及してて思わずにっこり)。

 

ちなみに、20日ソワレは2階席の下手側出っ張ったところの一番前で、28日は1階席の上手側ブロックだった。表情とかよく見えるのは当然だけど1階席。声もまっすぐ飛んでくる感じ。だけど、個人的には2階席のほうが好きだったな。劇場の音響が活きてて、音楽やSEとの親和性が高いし、舞台全体が見渡せるのが良かった。多分、審査員置くならGC席のセンターで、プッシュでのハイボックスは2階席センターに設定すると思う(マーチングに例えるのやめな)

閑話休題

 

すさまじく偏った感想

※ネタばれ有のつもりでお読みください。

まず、きょもがインスタライブで言ってた通り、第一声にいい意味で裏切られた。「知らん声がする!」って(いや、普段のお声も生で聞いたことないんですけどね)心の中で叫んだ。そんな喉かっぴらいて体内で何往復も響かせて出すような重音出せるんかいって、それって一朝一夕で得られるものじゃないと思うので、きっと並々ならぬ努力があったんだろうなって。もう泣きそう。20日の私、「張りがあって芯があって、でも掴みどころのない感じ。午前中の森の中、霧がわずかに残ってる空気のよう」ってメモ残してるんよ。これマジで的を得た表現だと自画自賛させてほしい。マジでこれだった。

コロナの後遺症や体力低下を心配してたんですけど、ま~~じで杞憂でしたね。プロだった。千穐楽まで安定していて、いや、もうほんと、心配なんて余計なおせっかいだった。

それと、「髙地くん、前世ライサンダーだったんか?」と思うくらい、なんていうか、にじみ出る髙地くんらしさがライサンダーという役に深みを持たせていたように感じた。たぶんキャスティングが神った。いや、本当にすごいんよ、もはや”ライサンダーを髙地にやらせようと決めた方”のファンになりたいかもしれん…慧眼…

とにかく、役のはまり具合が凄かったって話。威厳があって、愛にあふれて、かっこよくて、なのにちょいちょいかわいくて、かと思えば非常に気持ち悪くて(褒めてます)、ガラ悪くて(褒めてます)、豪華詰め合わせパックだった。

個人的には、魔法が解けて朝になるよって時のダンスシーンが美しくて印象的。技名まではわからないけど、バレエを彷彿とさせるような、ジャンプしている間空中でつま先までピンと伸ばす瞬間があって、その姿が本当に綺麗だった。なんか、そういう一瞬一瞬に積み重ねてきたものが垣間見えて、くるものがあったよね。

 

ベテランの方々は、ベテランであることがどういうことなのかを学ばせていただいたような気持ち。抜群の安定感と、記憶に残るほどの”圧”が両立していた。子役の子たちはひたすらに可愛かったことに加えて、この舞台に本気で挑む一役者であると感じた。彼ら彼女らもまたプロなんだと。後述するけど、私が唯一涙を流したシーンは子役メインの一幕。すごかった。幽霊たちのたたずまい、所作の美しさには息をのむものがあった。ところどころお茶目さが出ててほほえましかった。

 

それから、生駒ちゃん。若者組の中で一番にセリフがあったんだけど、スパーンと抜ける声が凛としていて「ひぇ…」と感動。怒り狂うシーンは、羽交い絞めされながらも爪立てて手足バタバタして、ほぼフシャーーーーーーーって毛を逆立てた猫でしかなかった。

元木さんはさすがの身のこなしで、アクションすべてかっこよかった。芝居も自然で、舞台上の雰囲気に綺麗に溶け込んでいた印象。あと、千穐楽では上手側の席だったわけだけど、女の子間の喧嘩の中で、ヘレナに「私はディミートリアスに惚れて追ってきた(ニュアンス)」って言われた瞬間、必死に腕掴んで止めようとしてたのに、思わず顔上げてとてもうれしそうな顔でヘレナのぞき込んでたのを見れたのが最高だった。超細かいと言われればそこまでなんだけど、本当にいい表情だったの。

春ちゃんは、何より、怒涛の長尺セリフ。しかも何度もあって、本当に圧巻だった。ひたすらブチギレてて、でもコミカルで、愛嬌があって…もう拍手しかできん。すごすぎた。溺れるかと思った。魔法にかかった男たちに言い寄られてドン引きの顔も、馬鹿にしないでと悲壮感たっぷりの顔も迫真だった。千穐楽では、喉を壊していたそうで、かすれ気味だったけど、聞こえづらくなんて全くなっておらず、それどころか、むしろ役に活かしていたようで*2、またも感動。

この若者四人の繰り広げる大乱闘(本人たち曰く”スマッシュブラザーズ*3)は息ぴったりで、「あ〜〜〜またこの四人で仕事してくれ〜〜〜〜」の気持ち。ほんとに素で仲良くなったんだなって。四人で切磋琢磨して、試行錯誤して作り上げるお芝居が楽しいんだなって。うまい表現が見つからないんだけど、それこそ、この四人が揃う時間、空間の儚さが、まさに”夢”のようで、きっと青春の1ページのようにこれからも輝き続けるんだろうなって思った(と言いつつ、終わってからも交流が続いているようで嬉しい)。

 

アドリブの多い舞台で、公演ごとに言い回しや仕草を変えていて、本人たちもそれを楽しんでいることが伝わってきた(レポ見るの楽しかった)。カンパニー全体がすごくいい雰囲気。そしてそんなカンパニーが一丸となって作るからこその劇場に広がる温かい空気。とても、とても幸せな時間、空間だった。

カーテンコールでは、拍手喝采の嵐。20日は、3回目でスタンディングオベーション。ティターニアのベールパタパタしながらルンルンで入ってきた髙地くんは、ライサンダーではなく完全に現役アイドルの顔してて、全力ブンブンお手振りからの南果穂さんと「せーの」ってしてスキップではけてって…なにあれ、何を見た?しばらく呆然としたよね(実際はすぐに退場するブロックだったので気持ちだけ置いてきた)。

28日は、最後だからか、アドリブ大量放出回だった。目がキラキラしてて、声を張ってて…カーテンコールも4回あった。2回目からもうスタンディングオベーションしてたし、3回目ルンルンはまさかのみんな横並びに手つないで来たし、4回目は髙地くん子役の子抱っこしてくるし…は?幻覚?それから、座長挨拶もあった。もうあのカンパニーが揃うことも、あのセットも衣装も見れないのかと思うと、寂しくて仕方がなかった。

 

喜劇って、途中にどんな困難が登場人物たちに降りかかろうとも、すべてが不思議なくらい綺麗にハッピーエンドに収まるし、その経過も外から見ている分には面白くてしょうがない、そういうものでしょう。その意味で、「夏の夜の夢」は生粋の喜劇。面白くて、随所で本気で笑わされた。

ただ、今回の「夏の夜の夢」はそれだけで終わらなかった。20日の時点では、「あれはどういうことだったんだろう」止まりだったんだけど、その後パンフレットや人様の考察*4を読んで、そして28日観たときに確信した。この舞台、すごいことをしてるって。と同時に、ぼろ泣きした。無理。ちなみに、一番涙が止まらなかったのは一幕目の方で、まだ手元にハンカチ出してなかったからマスクがびしょびしょになった。隣のお姉さんも休憩入った瞬間ハンカチ出してたから同じ状況だったんだと思う。心の中で握手した。

そう、何がすごいって、舞台を日本に持ってきたってこと、そして、どこまでを事前情報として提示するかの塩梅が絶妙だったことにあると思う。

そもそも、劇中劇があったり、妖精パックが明らかに客席の我々に向かって話す場面があるというように、”夢”の構造をまさに再現しているのが「夏の夜の夢」。メタ視点を随所で導入してるんだよね。で、今回さらにもう一層の次元を加えることでさらに重層的にしてきた。すなわち、この喜劇が一人の少年の死に際に見た夢である可能性を示唆する描写が用いられた。そしてその次元は(おそらく現代ではないが、飛行機だかヘリコプターだかはある時代の)日本、東北が舞台。

さらにすごいのは、こうした解釈を観客に預けているということ。正解を上から与えず、”見たまんま”を疑うよう唆し、想像することを求めることで、観客を巻き込む。劇中の世界と現在の我々の線引きを限りなくゼロに近づけて、グラデーションを成した。そのための装置として、提示される情報の選定すらも演出に含まれていたんじゃないかなと思えてしまい…だとしたら本当に本当にすごくないか…

 

まだまだ引きずるんだと思う。覚めるからこその夢なんだけどね*5。これ以上はまとまる気がしないので終わりにするが、ひとつ言わせて。円盤化待ってます。

 

本業の血が騒いだポイント

ここからは”推しに狂うオタクの皮”を脱いだ<私>が、自分の備忘録のつもりで気になったところを挙げるだけ。

※無理だと思ったら回れ右。

 

観劇中、立ち現れる強い価値規範に「うわあ」と思うことが多々あった。そうした違和感は、今<私>が持つ規範価値との齟齬であって、当然同じように感じた人も感じていない人もいるだろう。そしてそれは分解すると、要素間でも差異があるはず。ということで、私にとっての「うわあ」な要素を列挙する(箇条書きするにしては言葉のチョイスが適切でないような気がするので、どなたか代替案ください)。

・家父長制(家長の言うことが絶対視される)

ジェンダー:男に意思決定権がある(結局オーベロンの思い通りになる)vs.女は男に着いていくもの、守られるもの(ハーミアをはじめとして、女側もそう自己定義しそうふるまう)

ルッキズム(特に女の価値として、美しいことが重視される)+処女性の重視
セクシュアリティ(男女間で恋愛は成立するもの、ゆくゆく結婚し子供を産むもの)
・エイブリズム(健康で不自由なくスティグマがないことをよしとする)

 

ただ、これらもまた、例の”少年”の持つ価値規範の反映だと私は思った。きっと幼い彼の生きた社会での当たり前はこうだったんだろうと。まあ、そうでなくても、シェイクスピアの生きた時代は16世紀末から17世紀初頭だし、「夏の夜の夢」の舞台はギリシア神話時代のアテネ。時代を考慮すれば何も変ではない。

というか、やはり違和感を覚えるのは<私>が現代人だからこそ。ならば、学術的に次考えるべきは、こうした価値規範をともすれば再生産しかねない演目が愛され続けるということの社会的な意味ないし機能であろう。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。今後も徒然なるままに(さすがにもう何年も放置ということにはならないようにしつつ…)、色々と書き連ねていきたいと思います。

*1:えんぶ 2022.10月号

*2:堺小春公式 投稿 2022.9.29

*3:舞台「夏の夜の夢」公式パンフレット 稽古場座談会

*4:特にこちら

*5:ここまで書いといてあれだが、あくまで私の理解であることは強調させてほしい。絶対に鵜吞みにはしないでほしい。