さかなのつれづれぐさ

その時の気分でなんでも喋る。

母の食育

お久しぶりです。

なかなかに忙しくて、昼夜逆転暴飲暴食常時不調生活を過ごしていました。今は少し余裕が生まれて、改めて睡眠時間を確保するだったり、1日2-3回ちゃんと座って食事の時間をとるみたいなことを意識して生活をなだらかに戻しています。忙しくなるのに比例して文化的な生活が崩れていくのまじでやめたい…

 

思えば、きっちり生活する両親のもとで暮らしていた頃はそこまで崩れることはなかった。絶対そこに至る前に「寝ろ!」「起きろ!」「食べろ!」って怒られてただろうしね。

周りの子の家に比べたら厳しかったように思う我が家のしつけ(?)に、思うところは色々あるけど、少なくともそうした「生活の仕方」をめぐる教えは”素敵”だったなと今になって思う。

自戒の意味も込めて、今回は特に「食育」に絞って思い出して書きたい。

 

 

1.「世界には食べれない子がたくさんいるんだから感謝して食べなさい」

我が家の食卓において、好き嫌いは許されなかった。ましてや残すのはもってのほか。小さい頃はたくさん嫌いなものがあったけど、時に嗚咽を漏らしながら食べてた。(←味覚特性によるものじゃなくてほんと良かったよね!どんなに食べ続けたって克服できない場合だってあるから…!)

…まあ、そんなわけで、私は嫌いなものも食べること自体はそういうもんだと諦めていたけど、たぶん、せめてもの抵抗で”不機嫌になる”というパフォーマンスを戦略手段として取ってたんだよね。今思えばすごく幼稚だけど、すご~~く嫌な顔をして食べてたの。

そんな私に対して、よく母は、

「食べれない子が世界にはたくさんいるんだよ、食べれるだけありがたいよね。そんな顔して食べるなんて罰当たるよ。」と言っていた。

さらには、

「知ってる?食べることの大変さを学ぶツアーってあるんだよ。これ以上駄々こねるなら今からそのツアー申し込むから。あんた一人で行ってきなさい。」とも。

今なら、そんな経験できるならしとけばよかったって思うわけだけど(本当にそういうツアーがあるのかは知りませんが。)、当時は見知らぬ外国の地に一人放り込まれるかもしれないという恐怖でギャン泣きした記憶。なかなかの脅し文句だったな…

 

お陰様なのか何なのか、今では好き嫌いがすっかりなくなって、なんなら食べること=趣味みたいになっているけど、母の言葉はいまだに私の中で生きている。一口一口に感謝する気持ちを強く持っていて、それの起源は我が家の食育だったなと思い至ったわけです。

加えて、見知らぬ他者へ想像力を働かせること、俯瞰的に自分の立ち位置をとらえること…前者はミルズの「社会学的想像力」の、後者は「当事者性」の契機とも考えられるわけだけど、そういったものを規範的に身に付けさせられたという意味でも、母には感謝してる。そこまで考えてではなかったのかもしれないけど結果的に、ね。

 

2.「身体は食べたものでできているから、何を食べるかはちゃんと選ぶべきだ」

母の作る料理はとにかくたくさんの、しかも一つ一つこだわりの食材が使われている。どこで誰がどう作ったのか、何が添加されているか等々を気にする感覚はお陰様で身に付いた。説明しづらいけど、”これは食べ物じゃない!”とか、”これを身体に入れたくない!キモチワルイ!”みたいな感覚。

まあ、いいものにこだわろうとするとどうしても高くなるので、現状妥協せざるを得ない時も多いんだけどね…

それから、ちゃんと栄養素を考えて献立を組み立てることも与えられた”いい習慣”と言えると思う。(まあ、そもそも日本の義務教育はその辺比較的ちゃんと教えているなってアメリカ行った時に思ったけど。)これに関しても、意識的に気を付けるようにしてるというよりは、生理的に「何を食べたい/食べたくないか」な気がしている。つまり、知識として自分で得たあるいは教えられてきたものというより、母の感覚を共有して自分のものとしてきたものが、私の今の食に関する選択の判断基準になっている気がするって話。

 

今回は、我が家の「食」をめぐる教えを改めて思い起こしてみた。今の私は特に2つ目の方を実践できているかと言われると怪しい、というか冒頭で書いた通り、忙しい時はとことんできてない。だけど、なんていうか、生き方として、あこがれるし、すてきだなって思うわけで、それを共有したくてこんな風につらつら書いたわけです。

 

あとこれは余談なんだけど、母の中でのブームがあって、それは例えばスムージーだったり、ソイミートだったりなんだけど(流行ってなんか全くない頃だから今考えるとすごい。)、それには散々振り回された。大抵はちゃんとおいしいんだけど、時々信じられないくらいまずい劇物が出来上がったりするので…