祝 1クールドラマ完走
お久しぶりです(いつもどおり)
『だが、情熱はある』が先日最終回を迎えましたね。
すごかった。え、何かとんでもないものを見てしまったんじゃないか???????気づいたら「第四の壁」破られてた(と解釈した)んだが?????????????????
まだまだ宇宙を漂って還ってこれないし(つまり処理しきれずにいるのでロス以前の問題)、興奮只中の脳直感想はTwitterで散々ぶちまけてるので、ここでは“ドラマに苦手意識のある私がドラマをちゃんと1クール観た”ってこと自体を取り上げたい。
そもそも、なぜドラマにこんなにも苦手意識、というかぶっちゃけ嫌悪感を抱いているのか。一方で、だが情が観れた要因は何か。
まず前者についてだが、大きく分けて2つあると思ってる。
①単純に1時間毎回拘束されるのがしんどい
ドラマに限らず一つのことだけをするのが苦手。ラジオは聞きながら他のことができるけど、映像作品は視点も固定しなきゃいけない。しかも1時間。こちとら10分の動画も途中で他のこと挟まんと観れないんだぞ()しかもそれが何週間も続く…考えただけでストレス。よって連ドラというコンテンツがとてもハードルが高いものとして私の中では位置づいている。
②既存の価値観のごり押しがきつい
もちろんドラマと一言で言ってもいろんなジャンルがあるのはわかってる。だが、そもそも①ゆえにこの30年弱ほぼほぼ「ドラマ=ママが夜見てるやつ=大半は恋愛もの」という観念のもと生きてきたので、恋愛ドラマへの忌避感がそのままドラマ全般への苦手意識にも繋がってることは自覚してる。
で、恋愛ドラマへの忌避感はずばり根深い近代家族規範や異性間恋愛規範、ロマンティク・ラブ・イデオロギーetc.のへの嫌悪感と同義だ。別に恋愛ドラマにも後期近代的な(後期近代的な?)作品も多くあるのは知ってるが、やっぱり変わらない"王道"が今なおある。一つの作品がそういう"王道“の価値観を体現していて嫌ってだけじゃなくて、そういうのが売れる価値体系が根深くあるということが嫌。つまり今の社会が嫌(バカデカ主語)
あと、これはよくわからんポイントではあるんだけど、同じ恋愛ものでも小説・漫画・アニメなら比較的いけるのなんだろうな…
ここまでドラマへの苦手意識を考えてきた。次に、だが情はなぜ観始められたのか、そして最後まで観れたのか整理したい。
まず、上記②については、所謂恋愛ドラマではないので該当せず。そういう要素がなかったわけじゃないけど彩りを添える程度で、いや、実際そんなもんでしょ、人生恋愛以外にやることなんて山ほどあるんだからさっていう持論と合致したので観続けられた。
じゃあ①は?ってことだけど、残念ながら変わらずしんどさはあった。が、観れたのには以下二点の力が大きかった。
1)基本的にはノンフィクションってこと
…まず言っておくが、SixTONESを推していることはドラマ視聴の動機にはならない。現にこれまでメンバーが主演をしてきた数々のドラマは何も観れてない。そうではなくて、だが情は基本ノンフィクションだから観たい、観ておかねばと思った。そして、自分の価値観的に合わないシーンがあったとしても、でもこれは実際にあったこと(少なくとも本人たちの回想録にもとづいており、本人たちにとっての事実)だと飲み込めたからリタイアしなかった。
2)TVer様様のおかげ
あとこれは外在的な要因だけど、配信があったのは大きかった。テレビの前にいなくても観れるし、好きなタイミングで一時停止できるってことにはかなりのストレス軽減効果があった。ちなみに私は毎週1話ごとに平均3日ほどかけてた(遅い)
そんなわけで、私史上あったかないかわからないレベルの事象「1クールドラマ完走」が成立したのであった。
さて、そんなこんなで最初から最後まで観た『だが、情熱はある』だが、何がすごいって、すべてである。演技、衣装、演出、セット、小道具、構成…何もかものレベルが高いし、何より熱量がえぐい。このドラマ、ものすごい人たちが関わって成り立っているんだろうなって圧倒された。
また、ラジオ、テレビ番組、書籍、雑誌…いろんなコンテンツが重層的に、それこそ冒頭に述べたように現実と物語世界すらもリンクしていて、既視感をたどるわくわくがあった。加えて、演者のファン、モデルのファン問わず一つの作品を通して互いを認知し時に交流する一種の仮想コミュニティが形成されていて、そこに参加することの面白さも感じた。
最後に、私は10代のころからANNライトリスナーで、最近はすっかり「SixTONESのオールナイトニッポンスペシャル」と「オードリーのオールナイトニッポン」の虜なわけだが、若林さんが笑いながら言っていた「オードリーはずっと日大二校をやってる」という言葉が刺さって抜けない。
あ~~~~~~~~!!!!!!?私は、そういう”自分たちが楽しい”を第一にしていて、”求められる姿”を提示するよりもまず”自分たち”を保持している人たちが好きなんだなって。そうして”自分たち”を貫いた結果、時間はかかっても、どれだけ悔しい時を過ごしても、”自分たち”を世界に認めさせたところを尊敬するし、憧憬を抱く。
だが情を完走して、今どれだけ理不尽さを覚えても、しんどくても、いつかは”なにもの”かにはなれるかもしれない、まだまだ”こっから”なんだと藻掻くエネルギーをもらった。
本業においてもだもだめそめそしている20代後半の今、出会えてよかった。